夏子さんとの別れから、4週間経ちました。
家の周りは、夏子さんを埋葬した日と同じように雪が積もっています。
ご近所の方が夏子さんのために届けてくださった花は今も咲いています。
最近のCMで“花の命は結構長い”と言いますが本当です。
夏子さんの最期の声が、わたしの記憶の中では曖昧になりつつあります。
体全体を使い、太く大きな声で吠える姿しか思い浮かばず、あんなに小さく弱々しい声と夏子さんがどうしても結びつかないのです。
ただ、あの時夏子さんの思いと共に伝わった感動は、今も薄れることがありません。むしろ、過去の様々な記憶を巻き込んで雪だるま式に大きくなっていきます。
その記憶には、夏子さんとの14年間は勿論、先代わんこ含めこれまで関わってきた動物たちとの生活(出会いと別れ)が含まれます。
夏子さんの最期を見届けたいと願った理由も、そこにあります。ただ感動や記憶が蘇る一方で、悲しみや寂しさも思った以上に引きずっています。
夏子さんと共に暮らした4匹の猫たちは、今も何事もなかったかのように暮らしています。ある意味うらやましいです。