上の女性が何を示しているのかピンとくる方は、京都の歴史にかなり詳しい―
古くは鎌倉時代にまでさかのぼり、昭和30年代まで約800年間も続いた大原の風習、“大原女(おはらめ)”です。
歴史ある大原女さんとなっちゃんの関係は?
大原女とは?
大原(京都府)は、三千院や寂光院などで有名な観光地です。
ヒノキ・スギ山に囲まれた里山という雰囲気ですが、昭和30年代までは薪炭林の山だったようです。
ここで生産された木炭や薪を頭にのせて険しい山道を越え、約15Km南下した京都の町中で行商していた女性たちを大原女と言います。
参考になったのはこちら⇒京阪電車のサイト
自分は当初、大原女とは茶摘みの女性だと思っていました。
衣装がよく似ていますし、山と言えば“お茶”の先入観がありました。
しかし、調べてみると20キロから50キロの商品を頭にのせて山を越える行商人であると知り驚きました。狭く急峻な山道を不安定な重荷を載せて昇り降りするには、体力はもちろん技術も必要。
自分も仕事で苗木(スギ・ヒノキ)を担い棒で担いで林内作業道を登りましたが、荷の重さはせいぜい15~20キロ弱。距離は遠くても2Km程度、比べ物にならない。改めて、昔の人々(この場合女性)の凄さに感銘を受けました。
戦後、家庭用燃料として木炭、薪が使われなくなり、各地の里山から薪炭林は消え、スギやヒノキが集落のすぐそばまで植えられていきました。ここ大原そうだったのでしょう、長きにわたり続いた大原女の風習も失われました。
春の大原女まつり
毎年、5月には“春の大原女まつり”が行われます。
京都大原観光保勝会によると、今年は4月28日~5月15日に開催。29日には、時代ごとに異なる衣装を着た“大原女時代行列”で当時の大原女の姿を見ることができます。
大原女は人々の記憶に残るよう保存され、観光にも一役買っています。
更に、一年中大原女に会える場所が・・・
大原女顔出しパネル
この写真は、10年前に撮ったものですから、夏子さんはあと少しで5歳になる頃。この日のことはよく覚えています。2007年6月16日の土曜日、よい天気で6月にしては暑い日でした。
午前中は三千院エリアをめぐり、午後からは寂光院エリアまで歩いて移動、寂光院の手前にあったのが、この顔出しパネル(今現在も設置されているようです)、なっちゃんのみ大原女デビューを果たしました。
写真を見るたびに「大原女なっちゃん!」と、ついつい声に出てしまいます。
戸惑う顔の表情と傾き加減が絶妙で、数多くあるなっちゃんの写真の中でも、かなり愛着のある一枚です。
今も昔も作業服は共通?
作業環境の厳しいところで働く場合、服装によって作業効率や安全性が大きく左右されます。個人的には、作業着や仕事道具にはこだわりを持っているので大原女さんの服装は気になります。
山林では、転倒滑落の危険が伴うため動きやすい服装は重要です。アウトドアウエアは年々進歩し機能性が向上していますが、仕事で使うには値段と耐久性が・・・。
大原女たちの服装は時代遅れではありますが、そでじまり、すそじまりが良い服装は安全作業の基本です。
手ぬぐい一枚で頭を守れるとは思いませんが、無いよりはましです。
ただ基本は押さえているとはいえ、この服装で超ハードな行商をこなすのですから、大原女さんの持つポテンシャル高すぎです。