昭和の列車に会いに行こうー新幹線食堂車

東海道・山陽新幹線で食堂車の営業が始まったのは、1974年(昭和49年)
2000年(平成12年)にその役目を終えるまでの間に、
0系36形式
0系37形式
100系168形式
といった食堂車が活躍したのです。

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旅の楽しみは駅弁?それとも食堂車?


駅弁の歴史は、1885年(明治18年)に栃木県宇都宮駅で旅館「白木屋」が作った“握り飯2個とたくあん”(価格は5銭)が始まりと言われ、今日に至ります。
外食チェーンやコンビニ弁当に押された時期もあったものの、時代に合わせて進化し生き残ってきた駅弁。

食堂車の歴史は、1899年(明治32年)に始まり、ピークを迎えるのは1950~60年代。
70年代になり、在来線では消えつつあった食堂車も、新幹線においては“走るレストラン”として人気を博したのです。
当時は、レストランで食事すること自体が特別なことだったので、“走るレストラン”はあこがれの的。
そのため、昭和チックな食堂車にノスタルジーを感じるのかもしれません。

0系36形式


1975年(昭和50年)に製造された新幹線食堂車。

100両近く製造された36形式の中で唯一現存する84号車。
車両に行くと先ず目にするのが、食堂車のシンボルマーク。

満席!(いつ行っても満席だった記憶が蘇る)

壁に沿って左に進むと通路が(左側は車両窓、右側には食堂窓)

やがて頭上に入口へと導くサインが。

中に入ると左手には厨房が、

コックさんが忙しく調理する様子を思い浮かべつつ、満席の食堂に目を向けると、

沢山の家族連れや出張中のビジネスマンで賑わっている(妄想継続中)
オレンジの色使いがまさに昭和そのもの、懐かしい。

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0系37形式


こちらは1983年(昭和58年)製造の半室ビュッフェ車(立食形式)

車内を見学できないのが残念。
正面は提供準備室、入って左に進むと提供カウンターがあります。
記憶も情報もないので、残念ながら妄想は膨らまず・・・。

100系168形式


1985年(昭和60年)製造の新幹線初の2階建て車両。

通路床は凹型で、階段あり。

奥まで進み、右に回り込むと階段を上がって2階の食堂へ。

壁にはメニュー一覧が、

中は、0系36形式より開放的な食堂。まだ、昭和レトロ感が残っている。


このメニューは何だろう?

「ご注文はお決まりですか?」
「海老フライセットで」(妄想注文?)

調理は1階の厨房で行われ、

配膳用エレベータで2階へ運ばれます。

2000年(平成12年)までは新幹線でも、このような旅の楽しみが味わえたのです。
“走るレストラン”は、皮肉にも更なるスピードアップによって、その歴史に幕を下ろすことになるのです。
ここでご紹介した車両は現在、リニア・鉄道館(名古屋)で保存・展示されています。

駅弁で新幹線食堂車を脳内再現


駅弁の老舗、神戸の「淡路屋」の0系新幹線弁当。

リアルに0系を再現した、プラスチック製の弁当箱。あの“角”もちゃんと付いている。


2008年12月14日、0系さよなら運転(山陽新幹線)で使用されたR68編成。
「最後の0系」と呼ばれている貴重な車両を再現している、凝ってますね。

中身も、子供オンリーという訳ではない。昭和の食堂車を脳内再現するにはピッタリなメニュー。

「淡路屋」さんの500系新幹線弁当もお勧め。
こちらは容器が陶器製でありながら、忠実に500系を再現。

この形(0系弁当も含め)、手で持ちやすく揺れる車内では特に食べやすい。
器は小ぶりですが、中身はぎっしり、

この容器、開口部が狭いので工場で中身を詰める人は苦労しているそうです。
駅弁は美味しいは当たり前、旅の思い出作りに一役買うなど付加価値を持たせる工夫が人気を支えています。
ただし、食べ終わっても捨てるのがもったいない新幹線容器。
持ち帰るにしても、旅の間荷物になるのがちょっと難点かな?

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投稿者: natsukopapa2017

動物と昭和と軽キャン好きのイラストレーターです。 林業(フォレストマネージャー)をしていたためその関係のお仕事が中心です。