広さ甲子園球場85個分の万博会場に、連日、何十万人もの来場者(平均35万人/日)
当然の如く発生する迷い子たち。
何十万人もの人の中から迷い子を探し出すのは、至難の業。
この問題に対応した「迷い子センター」は、はぐれた親子の再会を果たすため日々奔走したのでした。
有名な、あの秘密兵器を駆使して、
迷い子ワッペン
実物がEXPO’70パビリオンに展示されています。
懐かしい記憶として、この“迷い子ワッペン”を思い出される方も多いのでは?
うちのママさんも、「大阪万博の思い出は?」の質問に「迷い子ワッペン!」と答えました。
と言うのも納得、迷い子になった子供の数がなんと、
トータルでは、4万8,139人。
しかし、子供より多かったのが“迷い大人”そのため「尋ね人センター」が開設されたそうです。
大勢の人が迷い子を経験したので、迷い子ワッペンが記憶に焼き付いているのかも(一種のトラウマ?)
この迷い子ワッペンと切っても切れない存在が、
迷い子ホステスさん
迷い子ホステスさんの拠点(迷い子センター)は、子供が迷い子になりやすい「エキスポランド」にありました。
子供と接する機会が多いため、制服はしゃがみやすいキュロットスカート仕様です。
大人とはぐれて心細い思いをしている子供たちにとって、心強い存在だったことでしょう。
各所にあったワッペンスタンドで、無料で入手できた迷い子ワッペン(原則、対象は7歳以下)
このワッペンを来場者にアピールすることも、迷い子ホステスさんのお仕事。
迷い子ワッペンの使い方
ワッペンは厚紙で作られており、偽造防止ためか?子ども片には、ホログラムシールが張られていました。
使い方は、ワッペン裏側に印刷されていました。
迷い子になった際は、親と子供のワッペンの数字をコンピューターで照合し、テレビ電話で互いを確認するシステムになっていたそうです。
子供が保護された案内所で、テレビ電話の端末を操作したのが、
「データ・スワローズ」と呼ばれる女性たち。
(EXPO’70パビリオン展示)
迷い子になった子供が保護されずに会場をさまよっている場合は、「エキスポシスター」さんが会場を捜索。
迷い子の世話は、必要に応じて「エキスポエンゼル」(本来の仕事は、雨傘とベビーカーの貸出)がサポートしました。
(EXPO’70パビリオンにて、奥がエキスポシスター、手前がエキスポエンゼルの制服・実物)
このように、ワッペン技術を活用しつつ、迷い子センターと他部署が緊密に連携して対応していたことが分かります。
万博の成功は、舞台裏で働く大勢のスタッフ抜きでは成しえないことでした。
ワッペンシステムを提供したのはミノルタ
万博開催時に子供だった世代にとって「ミノルタ」と言えば“カメラ”
印象に残っているのは、世界初オートフォーカス一眼「α-7000」(1985年発売)
素人でもプロ並みの写真が撮れると大人気に、CMもよく目にしました。
現在は合併して「コニカミノルタ」となり、残念ながらカメラ事業からは撤退しています。
無事再会、次はどこへ?
迷い子センターで再会した夏子さんとパパさん。
気を取り直して、すぐ近くの「フジパン・ロボット館」を訪ねることに。
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