昭和世代にとって「ヤマハ・パッソル」(1977年発売)は、
女性に優しい“ソフトバイク”の象徴であり、
足をそろえて乗る“ステップスルースクーター”の先駆けとなった、非常に印象深いバイクです。
「やさしい(優しい・易しい)から好きです」のキャッチフレーズと共に、優しく爽やかな八千草薫さんがCMに登場!
パッソルは、すぐに主婦層に広く受け入れられたのでした。
しかし、その人気は、なぜかヤンキーの皆さんにも広がっていき・・・、
ソフトバイク
“ファミリーバイク”と呼ばれる原付カテゴリー。
このカテゴリーのパイオニアとなったのは、ホンダでした。
女性ユーザーを念頭に開発し、1976年に発売した「ロードパル」(通称:ラッタッタ)です。
(カタログ画像は、1979年にマイナーチェンジで発表されたモデル)
自転車のようなパイプフレームで軽量、扱いやすい大きさ、変速いらずで運転も楽、とあって大ヒット!
時代は、ママチャリから、ママ原チャリに!
翌年(1977年)ヤマハが発売した「パッソル」は、運転のしやすさに加え、女性がスカートでも気軽に乗れるやさしさ“ステップスルー”を採用し、ロードパルと差別化を図っています。
ヤマハはパッソルを“ソフトバイク”と呼んでいました。
家族のだれからも愛されるやさしい乗りものが、ソフトバイク(ヤマハニュースより)
ロードパルが、ファミリーバイクの開拓者となり、
パッソルが、より[やさしい乗りもの]スクーターの先駆けとなったのです。
足をそろえて上品に
それまでは・・・、
「ロードパル」や「チャピィ」のように、バイクは“またがって”乗るもの。
スポーツタイプほどではないにしても、センターフレームをまたぐ形で足を開いて運転。
以前ご紹介した「N君のお母さま」のように、痛い目にあいつつもチャピィを上品に?乗りこなす女性も多かったわけですが、さすがに着物では・・・、
この場合、“またぎにくい”というだけでなく、むき出しのエンジンに着物(スカート)の裾が触れて汚れたり、機械に引っかかって傷付いたり、が心配。
でも、やさしい乗りものパッソルなら、
上品に、足をそろえて乗れるだけでなく、エンジンがカバーで覆われているため、衣服が汚れる心配もない。
1978年には、パッソルの姉妹車「パッソーラ」が誕生。
姉のパッソルよりボディーがひとまわり大きくなり、走行性能もUP。
「かろやかパッソル」に対して、
「のびのびパッソーラ」と呼ばれました。
いよいよ、ファミリーバイクも“見た目やデザイン重視”の時代に!
(この年の、商品デザイン部門で「グッドデザイン賞」を受賞)
パッソーラのイメージキャラクターは、水沢アキさんでした。
足を広げて大胆に
本来、足をそろえて乗れる、がセールスポイントのスクーターでしたが、
フラットなステップは、荷台として使用することもでき大変便利。
中華料理のバイトでは、おかもちをステップに載せ、両足で支えながら出前に。
店には、ヤマハ・メイトやホンダ・スーパーカブもありましたが、少しでも早く料理を届けるため、取り回しに優れたスクーターを選ぶことが多かったです。
大胆に足を広げてといえば、当時のヤンキーたち(主に高校生?)も忘れてはならない・・・。
180度股開き(大げさか?)で疾走、荷物がどうのではなく、あくまでファッション。
スクーターもカスタムして、ノーマルとは別物に変身(イラストはノーマル)
(ある程度は股を開いたほうが、バランスを取りやすいのも事実)
本来、ツッパリやヤンキーとは、相容れないはずのソフトバイク・パッソル/パッソーラ。
でも、補色(反対色)関係のような、互いを引き立てあう相乗効果があったのかも?
やさしい乗り物パッソルが、強面ヤンキーの引き立て役だったのかも?しれません。
大胆かつ上品に
パッソル/パッソーラが大ヒットしても、ソフトバイク=スクーターとはならなかったようです。
1979年に発売されたソフトバイク「キャロット」は、チャピィのように、またいで乗るタイプ。
こちらの正統派タイプにも、まだ根強い人気があったようです。
両タイプが共存しながらソフトバイク人気を押し上げていきます。
メーカーとしても、ソフトバイクを入り口に、小型・中型クラスへの乗り換えを促す、そんな意図があったのかもしれません。
この頃から、バイク市場をめぐる、ホンダとヤマハの熾烈なシェア争いが始まります。
世に言う、HY戦争へと突入していくのです。
最中の1980年に、ホンダが「タクト」を発売し、本格的なスクーター時代の幕開けとなります。
ホンダ・タクトについては、こちらで。
⇒昭和の原付バイクーホンダ・タクト①
⇒昭和の原付バイクーホンダ・タクト②
今回は、幅広い層に愛された、やさしい乗り物パッソル/パッソーラのお話でした。