三菱未来館は、50年先の未来を紹介するパビリオンです。
1970年の50年先は、2020年・・・、そう東京オリンピック2020の年です。
三菱未来館では、どのような未来(2020年)を予想していたのでしょうか?
人気のパビリオン「三菱未来館」
中央口や太陽の塔にほど近い場所にあった大型パビリオン、三菱未来館(最大収容人数5万人/日)
見る角度で見え方が異なる、変わった外観をしていました。
正面から見ると、
裏側から見ると、
(EXPO’70パビリオン展示模型)
太陽の塔の方から見ると、大型船の舳先にも見える。
この基本直線的なデザインは、ホステスさんのユニフォームにも共通しているような。
個人的な意見ですが、三菱は直線的なデザインが好き♥かも。
三菱自動車を見ていると、特にそう思います。
三菱のシンボルマークがスリーダイヤですからね、当然か!(^^)!
内部では、映像制作に特技監督として円谷英二氏が参加していることもあり、迫力ある映像が提供されました。
加えて、広い館内の移動手段“トラベータ(動く歩道)”や、立体映像“ホリ・ミラー・スクリーン”、人物拡大映像機“シルエトロン”など、様々な新技術を投入。
組織力の三菱、グループ会社35社が結集すればお手の物か。
結果、100を超えるパビリオンの中で、入場者数ランキングでは第8位にランクインしました(企業出展ではトップ)
たくさんの人が訪れたせいか、三菱未来館のパンフレットは今でも数多く残っています。
(パンフレット裏面)
テーマは「日本の自然と日本人の夢」
人と自然との関わりという観点で、50年後の日本人の夢が描かれていました。
ホリ・ミラー・スクリーンを用いて、「日本の自然」がいかに驚異的かを立体的に紹介した後、
「日本の空」、「日本の海」、「日本の陸」を、
どのようにコントロールして日本人の夢を実現するかが、スモークスクリーンなどを用いて描かれました。
最後に誘導される「あなたも参加する」コーナーには、未来体験型レクリエーション・ルームがあり、シルエトロンを体験。
パンフレットには、夢のような生活様式についても説明されています。
このような生活では体が鈍るので、スポーツが義務化される・・・らしい。
大阪万博をピークにその後の数年間は、こうした明るい未来を描いた書物や絵を数多く目にしました(子供ながらに胸ワクワク)
しかし、いつの間にか“夢の未来”は失われ・・・、現実と向き合うのが精いっぱいという状況に(>_<)
さらに、万博から約50年経ってはっきりしたことは“自然には抗えない”ということ。
科学技術により人類と自然との調和を図るという夢は、あと50年かけても実現不可能?
とは言え、自然を知るための探査技術は、50年前よりはるかに進歩しました。
日本の陸・海・空(宙)で活躍する三菱
三菱グループは、その後のつくば’85(1985年)や愛知万博(2005年)などにも、“未来館”の名称でパビリオンを出展しています。
2025年に再び大阪で万博が開催されるとしたら、どのような未来を三菱未来館は描くのでしょうか?個人的には興味大です。
(追記:2018年11月24日、2025年万博の開催地が大阪に決定!)
最後にスタンプを押して、
三菱未来館ともお別れです(スタンプにもいくつか種類があります)
三菱未来館のあった場所は今
(パンフレットより)
目線の高さは異なりますが、同じ方角から見ると、
こんな感じ。
「月曜広場」は、今は「上の広場」と呼ばれています。
三菱未来館の跡地は、
「万博おもしろ自転車広場」や「やったねの木」といった、子供たちの遊び場になっています。
次回は「クボタ館」へ
三菱未来館の向かい側にあった「クボタ館」
トラクターで有名な、クボタが出展したパビリオンです。
「クボタ館」に行かれる方は⇒こちら
「フジパン・ロボット館」に戻られる方は⇒こちら