夏子さんと共に回った淡路島と四国の旅(2013年2月)の途中でどうしても行ってみたかったのが、北淡町震災記念公園。
保存されている断層
1995年1月17日の地震を引き起こした野島断層の一部が保存されています。
あの日
発災当時、三重県にいましたが“ゴォー”とうなる地鳴りに目が覚めると、下から突き上げる揺れが1度だけ起こりました。朝のニュースでは、震源が神戸であること、数人の方が亡くなられたことが報じられていました。
出勤後しばらくして職場の親方の携帯電話に“神戸がえらいことになっている”と情報が入り、身内が関西にいるわたしに安否確認をするよう電話を貸してくれました。
当時、携帯電話を所有していたのはごく一部の人だけでしたが、この震災をきっかけに携帯が一気に普及することになります。
その日の夕方までには、亡くなられた方の数が数千人にまで増え、未曾有の大災害が起きたことが分かりました。関西で10年過ごしたわたしには信じられない光景でした。
急遽、携帯ラジオを買いに走り、仕事しながらその後の情報に耳を傾けました。
しばらくして
1か月ほどして、復旧の後方援助として姫路に入りましたが、その際通った中国自動車道も被害を受け、下りの3車線の一番左側(走行車線)は通行不能、残り2車線(追い越し車線)も橋梁のつなぎ目に段差が生じ速度規制がなされていました。
反対の上りは、神戸を先頭に救援物資を運ぶトラックや災害派遣の車の列が延々と続いていました。
高速沿いの家屋には所々ブルーシートによる屋根養生が見えましたが、海側と山手では被災状況が全く違うことに驚きました。
学んだこと?
この災害をきっかけに、ボランティア活動が組織されるようになり、後々の災害において復旧復興支援の大きな役割を果たすことになります。
個人としても影響を受けました。
日常生活の中に防災意識が刷り込まれ、“今被災したらどう行動するか”を考えるようになりました。
元々、アウトドア好きでしたが、そこに防災という要素が加わるようになりました。大抵のアウトドア用品は防災用品を兼ねます。キャンプも非日常としてではなく、日常の延長として行うと避難生活に必要な装備やノウハウが見えてきます。
ペットをどうするかも考えておかねばなりません。
熱中症対策として車に手を加えてきましたが、“いざという時に犬連れ避難に備える”という考えが根底にあります。
また、田舎では個人ではなく、周辺地域として被災した時のことを考えておかねばなりません。
ただ、同じ田舎でも、海沿いと山奥では対応が異なります。どちらにも居住経験がありますが、東日本大震災以降、津波に備える必要性と難しさを肌で感じました。
田舎は、災害で孤立すると致命的ですが、備えさえあれば何とか生き延びられます。
物の備蓄だけでなく、自治防災という備えです。自治会として、地元の消防団として日頃からの訓練や連携を図り、災害に備える地域もあります。
とは言え、高齢化、過疎化が進む集落では、担い手不足や一部の人にかかる負担の大きさなど解決すべき問題もあります。Iターン、Uターン組の若手に期待がかかりますが、カギは定着率でしょうか?
あの日から学ぶ、思ってはいても実践はなかなか難しい。ただ、被災地に救助に入った人たち、その後の救援や復旧に携わった人たち、今も逆境に耐え続ける人々に抱いた敬意の念は忘れません。