ニャン生の大半を野外で過ごしていたトム。
そのせいか、家では遠慮がちな様子でしたが、ここ4、5年は家ネコに転向して気ままに暮らしておられました。
存在感の薄い子(手のかからない)でしたが、実は我が家にとって精神安定剤のような大切な役割を担っていたことに気づいたのです。
天井からおしっこの雨?
ある日突然、キッチンの天井から大量の雨が・・・。
トムがロフトのネコトイレの手前でおしっこをしたためでした。
「こらぁー!」
普通に怒ってトムを責めてしまった。
数日後、再び天井からおしっこの雨。
「こらぁー!」
さらにかなりきつく叱ってしまった。
冷静になり、ふと気づく“体調不良なのか?”と
夏子さんの時の経験が生かされず、またも失敗、しばらく自己嫌悪。
病気や内科的なものではなく、老化により足腰が弱ってきたようです。
若い時に腰を痛めたようで、その古傷の影響もあるのかもしれません。
普段トムが過ごしている1階にネコトイレを下ろし、失敗してもよいようにシートを敷いて対応することにしました。
こんなこともあろうかと残しておいた夏子さんのトイレシートも大活躍。
トムの介護を意識するようになった出来事でした。
遅咲きのリーダー?
仲のいい兄弟だったので、ジェリーに先立たれたトムが心配でした。
しかし、数日後には広くなったスペースを独占し、くつろいでいた(意外に薄情)
ところが、妹分のニャンが転がり込んできて・・・、
おおらかな性格のトムは、来るもの拒まずといった感じでした。
ニャンはホットカーペットとネコベットの間に入り込むのがお好みで、さすがにそれはトムには迷惑だったようですが・・・。
それでも、トムは自己主張が苦手だったので、ニャンの側にいればいろいろ便乗できたのでメリットがあったようです。
そうしているうちに先にママが述べたように、自らも主張するようになり、わがままな一面を見せるようになりました。
トムが、ある意味での“リーダーシップ”を発揮するようになった結果、ばらばらだった3匹の猫たちが一つにまとまった気がします。
さらに、人見知りが激しく(パパが大嫌い)ロフトにこもっていたニャンも、トムの性格の影響を受け?友好的になりました。
トムのおかげだと思っています。
ついに寝たきりに
よたよた状態ではあるものの、自力でトイレや食事をこなしていたトム。
トイレは3回に1回は失敗するものの、自分でトイレに行こうという姿に感銘を受けました。
特に好き嫌いもなく、何でも食べたトムでしたが、晩年は食べさせるのに苦労しました。
でも、生き物としてはそれが自然なことだと(何かで読んだ)とママが言っていました。
いよいよ動けなるその直前、トムが急にいなくなり驚きました。
ひとり階段下の隠れた場所でじっとしていました。
ネコは“死に場所を求めて姿を消す”と言いますが、そのような感じだったのかもしれません。
ただ、“もうダメ”というあきらめよりは、敵から身を隠す本能的な行動、“まだ生きよう”というポジティブ思考の表れではないかと感じました。
もちろん(トムには悪いですが)元のネコベットに引き戻され、それ以降は寝たきりになりました。10月21日、亡くなる2日前でした。
しばらくすると、ニャンがやってきて、トムの前で心配そうに様子をうかがっていました。
トムとの別れが近いことを察しているのか・・・、とちょっと感動した次の瞬間・・・、
ネコベットの下に潜り込んで、トムを地面にひっくり返した!
(慌てたため画像はなしです)
ただ単に、お気に入りの場所を狙っていただけのことでした、感動して損した!
22日は、「即位礼正殿の儀」をテレビで見ながら、今日がトムの最後の日になるであろうとトムを中心に皆で過ごしました。
目を閉じ、体を動かすことはありませんが、話しかけると「ゴロゴロ」と答えてくれました。
その日は何とか持ちこたえ、翌23日の早朝5時ごろ、いよいよその時が訪れました。
ちょうど、ママが起きてロフトから降りてきた時でした。
二人でトムの最期を見送りました。
最後にちょっとだけ苦しそうな呼吸を数回繰り返した後、静かに眠りにつきました。
年を取って家ネコになってからのトムは、存在感が薄かったと言いましたが、それは間違いだったようです。
トムがいなくなってからの喪失感が思った以上に大きかったのです。
トムは、自分たちの生活の一部として違和感なくいつもそばにいたのでした。
今は、トムがいないことの違和感にふと気づかされる日々です。
16年間、ありがとう。